大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(ワ)17994号 判決 1996年2月05日

原告

伊藤優

外三八名

右原告ら訴訟代理人弁護士

堀哲郎

鈴木幸子

被告

株式会社穴吹工務店

右代表者代表取締役

穴吹夏次

右訴訟代理人弁護士

畑中耕造

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、別紙原告目録記載の番号1、6、7、8、17ないし20、23、26及び37の各原告らに対しそれぞれ四〇〇万円、別紙原告目録記載の番号2ないし5、9ないし16、21、22、24、25、27ないし36、38及び39の各原告らに対しそれぞれ二〇〇万円、並びにこれらに対する平成四年三月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告から分譲マンションを購入したとする原告らが、被告が右マンションを不当に値引きして販売したために、マンションの価値が下落してマンション一戸あたりにつき少なくとも四〇〇万円の損害を受けたとして、売買契約又は信義則に基づく被告の債務不履行及び不法行為を理由に、総額一億円の損害賠償及び不法行為の日あるいは原告らが被告に債務不履行責任の履行請求をした日の後である平成四年三月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金銭を請求した事件である。

二  争いのない事実

1  被告は、土木建築工事の請負及び設計、施工並びに監理、土地の造成、不動産の売買、交換、貸借、管理及びその代理、媒介等を業とする会社である。

2(一)  原告らは、被告から、それぞれ、以下の購入日に、以下の価格(消費税は除く。)で浦和市大間木一七六二―一所在の分譲マンション「サーパス東浦和」(以下「本件マンション」という。)の次の室番号に係る各戸を購入した。原告らの購入代金は、いずれも被告が当初設定していた販売価格だった。

室番号 原告名

売買契約日(平成年月日) 価格

四〇二 伊藤 優

三・二・一七 五五九一万円

二〇三 岡田公雄・岡田真一

二・九・二〇 五四九六万円

二〇五 小川修一・小川みゆき

右同日 五〇七七万円

五〇五 小田垣隆司

三・三・三〇 五三七七万円

四〇一 陰山祐二

二・九二一 五六三〇万円

四〇六 金子信一郎

二・九・二五 五二三一万円

四〇三 草野祥三

二・九・二〇 五七二八万円

一〇七 佐藤武志・佐藤春枝

右同日 四九八〇万円

五〇六 城石朗

二・一〇・四 五三〇九万円

五〇二 鈴木真一・鈴木圭子

二・一〇・二九 五六六九万円

四〇五 冨村尚樹

二・九・二〇 五三〇〇万円

四〇四 永井勇

三・三・四 六六六六万円

一〇六 中島豊

二・九・二〇 四八八二万円

三〇六 西野信也

三・五・一一 五一四四万円

三〇七 船田和男・船田真裕美

三・二・一七 五二五二万円

一〇五 降籏元忠

二・九・二四 四九四一万円

三〇五 増田良二

二・一〇・一六 五二一三万円

一〇二 松田司

二・九・二一 五三六八万円

七〇六 松沼直人・松沼まゆみ

二・九・二四 五四七四万円

二〇一 宮沢明・宮沢文子

二・一〇・四 五三九七万円

二〇二 森松利彦・森松加佳子

二・九・二〇 五三六八万円

二〇六 森本剛

右同日 五〇一八万円

一〇三 山下景由・三恵子

右同日 五四九六万円

二〇七 山田信

右同日 五一一六万円

三〇二 吉田義一・吉田春枝

右同日 五五〇四万円

(二)  原告草野祥三、原告城石朗、原告増田良二、原告森本剛を除く原告らは、それぞれ(一)に掲げた購入者名義でその前掲各戸につき所有権保存登記を了したが、原告草野祥三は原告草野綾子と、原告城石朗は原告城石多恵子と、原告増田良二は原告増田麻里子と、原告森本剛は原告森本桂奈子と、それぞれその前掲各戸について、共有名義の所有権保存登記を了した。

3  原告らは、平成三年三月三一日ころから本件マンションに入居し始めた。

4  被告は、平成三年一〇月以降、本件マンションの未売却住戸を値引きして販売した。

三 争点及びそれに対する当事者の主張

1  被告は、原告らに対し、値引き販売をしないという売買契約上の義務又は、値引き販売をした場合には、原告らに損失を補償するという売買契約上の義務(以下「契約上の義務」という。)を負っているか。

(一) 原告の主張

原告らは、本件マンションを購入する際、被告の営業担当者とそれぞれ以下のようなやりとりをしたのであるから、被告は、原告らに対し、それぞれ、契約上の義務を負ったのである。

(1) 原告伊藤優は、本件マンションの三〇三号室の購入を申込み、当選したために売買契約を締結したが、三〇三号室の前に電柱が来ることがわかったので、解約を申し入れたところ、被告の営業担当者は、「解約はできない。」と言った。その後、電柱が前に位置しない四〇二号室に空きができたということで同室の購入を勧められたので、原告伊藤優はこれに応じることにしたが、四〇二号室は、三〇三号室よりも八〇万円ほど高かったため、値引きを求めたが、被告営業担当者は、値引きは一切しないとこれを拒否したので、原告伊藤優は、平成三年二月に販売価格で購入した。

(2) 原告岡田公雄、原告岡田真一、原告陰山祐二、原告松沼直人、原告松沼まゆみは、いずれも抽選の結果当選したと言われた。

(3) 原告小川修一、原告小川みゆきは、被告の営業担当者嶋田卓司(以下「鳴田」という。)から値引きはしないと言われ、また、抽選の結果当選したと言われた。

(4) 原告小田垣隆司は、被告営業担当者井上敏伸(以下「井上」という。)から、今後値下げはしないと言われた。

(5) 原告金子信一郎は、売買契約締結時に、被告営業担当者の岩下圭子(以下「岩下」という。)に値引きを打診したが、同人は、「値引きはできない。仮に値引きするとなれば、公平の観点から全購入者に対して行う必要がある。」と言って値引き販売を拒否した。

(6) 原告草野祥三は、契約締結前、被告営業担当者富田純央(以下「富田」という。)に対して値引きを打診したところ、富田は、「被告は値引き販売はしない。」と答え、原告草野祥三が重ねて、未売却住戸について値引き販売の可能性を尋ねたところ、「値引きは絶対にしない。」と言った。

(7) 原告佐藤武志、原告佐藤春枝は、モデルルーム兼販売事務所に大きく掲示されていた価格表の価格五〇三〇万円が本件マンション一〇六号室の価格であることを岩下に確認の上、一〇六号室の購入の申込みをしたところ、岩下から、パンフレットに記載されている五〇九〇万円が正しい価格であり、この価格が不満であれば、売買契約をとりやめてほしいと言われたので、原告佐藤らはやむなく五〇九〇万円で購入した。

(8) 原告城石朗、原告城石多恵子は、抽選の結果当選したと言われ、購入時に値引きを打診したが、被告営業担当者は、一か所を値引くと全体を値引きしなければならなくなると言ってこれを拒否した。

(9) 原告鈴木真一、原告鈴木圭子は、井上に対して、値引きを打診したところ、井上は、「この物件は公庫付なので、届出等の規制があって、値引きはできない。一か所値引くと他も全て値引くことになってしまう。」「値下げをしたら、他の人全て値下げしなければならなくなる。」などと答え、値引き販売を拒否した。

(10) 原告冨村尚樹は、抽選の結果当選したと言われ、また、井上から、「価格を下げて販売する予定はない。」と言われた。

(11) 原告永井勇は、岩下から、「絶対に値下げして販売しない。もし、値下げした場合は他も同様とする。」「売れ残っているマンションは絶対に値下げしない。もし、値下げして売れば、既に売却した物件も値下げを考えないとおかしい。」と言われた。

(12) 原告西野信也は、契約締結前、富田に値下げ要求したが、富田は、「値下げは絶対にしない。モデルルームの家具等は譲れない。」と言ったので、原告西野信也は、価格表どおりの価格で購入した。原告西野信也が契約締結後、富田に対して、売れ残っているマンションを値下げするのかと聞いたところ、富田は、「あと少ししか残っていないし、全部売却しそうだから、今さら下げることはありえない。」と答えた。

(13) 原告船田和男、原告船田真裕美は、本件マンション三〇七号室の購入を申し込むに当たり、富田に対して値引きを要求したが、富田は、「上司にも相談したが、値引きはできない。築後一年以上経ったものならばともかく、本件マンションは新築であるから値引きは絶対にありえない。一件引くと、他の人も値引きしなければならなくなる。」と答え、値引きを拒否した。

(14) 原告降籏元忠は、抽選の結果当選したと言われ、また、岩下から値引きを拒否された。

(15) 原告増田良二、増田麻里子は、岩下に対し値引きを打診したところ、岩下は、「そうできればいいんですけれど、ちょっと無理ですね。」と答えた。

(16) 原告松田司は、被告営業担当者に対し、モデルルームに置いてある家具を安く分譲してくれるよう頼んだが、「特別なサービスになるからできない。」と断られ、また、値引きを打診したが、「公庫融資対象なので値引きはできない。」と断られた。

(17) 原告森松利彦、原告森松加佳子は、井上に対し、本件マンションを購入したら生活が苦しくなる旨伝えたところ、井上は、本件マンションは値上がりが期待できる物件である、モデルルームの家具は希望者に半額で売却すると言った。原告森松らが申込金を支払ったとき、井上は、この物件は、駅から近いので買い得であると言った。

(18) 原告森本剛、原告森本佳奈子は、営業担当者嶋田から、本件マンションには購入希望者が多いために値引きの余地がないと示唆された。

(19) 原告宮沢明は、抽選で当選したと言われた。また、被告営業担当者佐保及び井上に対し、値引きを打診したが、拒否され、マンションでは一戸を値引きすると全戸に平等に値引きしないといけなくなるからだと説明された。

(20) 原告山田信は、佐保から、第二希望であった本件マンション二〇七号室を購入するよう誘導され、また、値引きはしないと言われた。

(21) 原告吉田義一、原告吉田春枝は、抽選の結果当選したと言われ、また、売買契約締結前に、富田から、決して値を下げることはしないと言われた。

(二) 被告の主張

被告の営業担当者らが、原告らが主張するような言葉で値引き販売を断ったことはないし、原告らに抽選を行ったと伝えた各戸については、実際に抽選を行っている。

2  被告による値引き販売は、原告らに対する信義則上の義務に反し、社会通念上許容された限度を逸脱した違法な行為であるか。

(一) 原告の主張

マンションは購入者にとって極めて重要な資産であるから、分譲マンションの販売者は、その販売に当たって、個々の購入者間に不公平が生じないように努めるとともに、販売したマンションの資産価値を自らの行為によって下落させることがないようにする信義則上の義務を負っている。

しかるに、被告は、販売価格がマンションの資産価値にとって極めて重要な要素になるにもかかわらず、原告らが入居してからわずか半年後の平成三年一〇月には、それまで未販売の分譲マンション複数戸を、家具調度品やルームエアコンを設置した上、分譲価格を五〇〇万円値引きして販売し、原告らのマンションの資産価値を大幅に下落させた。

被告の行為は、信義則上の義務に反し、社会通念上許容された限度を逸脱した違法な行為であるから、被告は原告らに対し、債務不履行責任及び不法行為責任を負う。

(二) 被告の主張

一般に、マンションの価格は需要と供給の関係から決定され、売れ残った場合に値下げ販売をすることは、マンション分譲業者の当然の行動であるから、マンション分譲業者には値引き販売をしないという信義則上の義務は認められない。

平成三年一〇月には、本件マンション販売予定住戸四五戸のうち、モデルルームとして使用していた一戸と販売事務所として使用していた一戸を含め、七戸が売れ残っていた。この時点では、いわゆるバブル経済の崩壊の影響でマンション市場価格は大幅に下落し、当初予定していた価格で売却することが困難であった上に、本件マンションの敷地購入資金として借り入れた金銭の利息の支払が被告にとってかなり負担であったため、七戸のうち二戸については予定価格の一割ないし一割五分相当額を値引きして販売し、モデルルーム及び販売事務所として使用していた住戸については、二割五分相当額を値引きして販売したのである。

したがって、被告が行った値引き販売は、原告らに対する信義則違反にはならず、債務不履行にも不法行為にもならない。

第三  判断

一  争点1(被告は、原告らに対し契約上の義務を負っているか)について

1  証拠(甲一ないし一一、一二の1ないし3、一三ないし二五)によると、原告草野綾子、原告城石多恵子、原告増田麻里子、原告森本佳奈子(以下「原告草野綾子ら四名」という。)以外の原告らは、被告と本件マンションの各戸について売買契約を締結したことが認められるものの、原告草野綾子ら四名と被告との売買契約を認めるに足りる証拠はない。

したがって、その余について判断するまでもなく、被告は、これら原告に対して契約上の義務を負うものではない。

2(一)  証拠(甲三一ないし三三、三五、原告鈴木真一、同永井勇)及び弁論の全趣旨によると、(1)富田は、原告草野祥三に対し、売買契約前に、本件マンションは購入希望者が多く、将来値上りが期待できる物件であるから値引き販売は絶対にしないと言ったこと、(2)井上は、原告鈴木真一に対し、売買契約前に、本件マンションは住宅公庫の融資物件であるから届出等の規制があって値引きはできない、一カ所を値引くと他もすべて値引かなければならないと言ったこと、(3)岩下は、原告永井勇に対し、売買契約前に、本件マンションのうち一か所を値引くと他も値引かなければならないから値引き販売はできないと言ったこと、(4)井上は、原告森松利彦に対し、売買契約前に、本件マンションは、将来値上りが期待できる物件であると言い、値引き販売は絶対にしないし、もし値引き販売をすれば、全購入者に同様のことをしなければならないと言ったことが認められる。

これら認定事実及び原告らがそれぞれ主張する事実にあらわれている被告会社の営業担当従業員の言動は、いずれも、個々の原告らとの間で、不動産市況の変化により不動産価格が下落したとしても、被告の当初設定価格を下回る価格で他の戸を分譲しないという不作為義務を被告が一方的に負担する旨の意思表示をしているものとみるにはあいまいすぎる言動というほかはなく、これらをもって、原告らと被告との間で、売買契約締結に当たり、値引き販売をしないという合意、又は、値引き販売をした場合には原告らに損失を補償するという合意が成立したとは認められない。

(二)  また、証拠(乙一、二、証人井上敏伸、同和田稔)及び弁論の全趣旨によると、被告では、値引き販売の決定権は、被告本社にしかないので、富田、井上、岩下、嶋田といった被告の営業担当者には値引き販売の決定権はないことが認められるから、この点からしても、原告らと被告との間で原告が主張するような契約上の義務が発生したとは認められない。

(三)  よって、被告が原告らに対して契約上の義務を負っていることを前提とする原告らの主張には理由がない。

二  争点2(被告による値引き販売は、原告らに対する信義則上の義務に反し、社会通念上許容された限度を逸脱した違法な行為であるか)について

1  証拠(乙二、証人和田稔)及び弁論の全趣旨によると以下の事実が認められる。

(一) 本件マンションは、被告が建築販売した物件で、平成二年四月に着工し、平成三年三月一二日に竣工した。本件マンションの販売戸数は四五戸で、全て住宅金融公庫の融資付物件であったため、平成二年八月中頃からモデルルームの内覧を開始し、同年九月八日から同月一六日までの間、住戸購入希望者の登録を受け付け、同月一七日、二四戸について抽選を行い、購入者を確定した。

(二) 本件マンションは、同月二〇日には一五戸について、同年一二月末までに一〇戸、平成三年九月末までに一三戸について売買契約が成立したが、平成三年一〇月時点で、七戸が売れ残った。このころには、不動産市況も停滞していたため、被告は、売れ残った四戸については、当初価格の一割ないし一割五分を値引きして販売し、残りの三戸については、モデルルームで使用した家具調度品を付けて当初販売価格で販売した。

2 一般に、不動産の価格は、需要と供給の関係で決まるものであり、不動産市況によって価格が変動することは自明の理ともいうべきことであるから、マンションの販売業者である被告に、売買契約締結後に不動産市況の下落があってもなお当該販売価格を下落させてはならないという信義則上の義務があるとは認められない。

また、本件マンションの各戸の値引き販売は、原告らの入居開始から約半年後になされたとしても、販売開始からは一年を経過した後に行われているのであるし、その値引き率も一割から一割五分であるのだから、それほど不当なものであるともいえない。

3  右1及び2の認定判断によれば、被告の値引き販売行為は、信義則上の義務に反し、社会通念上許容された限度を逸脱した違法な行為であるとは認められない。

三  以上の次第で、原告らの請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官永野圧彦 裁判官真鍋美穂子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例